昭和四十八年、帝国で最も西洋化の進んだ東京を、首相石馬戒厳は皇土の都たる資格なしと断定。大帝に自意を奏上し奠都の勅を得るや即座、愛知県への遷都を決行した。ほぼその直後に石馬政権は崩壊、首相の地位を失った石馬戒厳は新帝都へ赴くことなく、東京都改め東京府の知事として着任する。外蛮の穢れ満ち溢れたりとして見限った旧帝都を、自らの手で再建せんと志したのである。
東京府知事石馬戒厳は、まず府内から外国籍の者を駆逐。続いて府を囲む長城の建造に着手し、その完成をもって帝国精神に仇為す一切の洋夷の侵入から東京を守る意思の明示とした。そしてまた、石馬は銃火器を西洋侵略史の象徴であるとみて憎み、銃砲火器類所持絶対禁止法を施行して府内からの撲滅を図った。これらの政策は、決して長くなかった石馬の府知事在任期間後も後継
者らによって基本的に継承され、二十一世紀に至ってもなお続くことになる。
景道九年現在の東京は、長きに渡る閉鎖主義と銃火器摘発一局への警察力集中による治安低下が著しく、刀剣類を用いた争闘が白昼横行する魔境の態を成している。 |
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