生死者追跡者の目線から綴られる「凍京」の姿。『凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ>』脚本担当・下倉バイオによる書き下ろし小説「凍京NECRO PREDAWN」を特別に公開します。
凍京NECRO PREDAWN〈前編〉
初出:「TECH GIAN」2016年1月号
絶えず飛び交うぼったくりバーの呼び込み、娼婦の色目、酔っ払いの笑いにマフィアの怒声。世界規模の急激な寒冷化で世界中が氷に包まれ人類の生活環境は一変したが、2199年の凍京は縦横無尽に走るホットパイプの恩恵で、東洋一の活況を取り戻している。
ひっきりなしに人が流れゆく雑踏で、ロシア系の男は高い背をトレンチコートに埋め、ただ静かに時が来るのを待っていた。落ちくぼんだ瞳はどこを見るともなく開かれ、虚空に輝く簡易広告のネオンを反射して揺れている。人を寄せ付けないその雰囲気は手練れの呼び込みさえたじろがせ、絶えず欲望が渦巻く新宿歌舞伎町のただ中で、男の周囲だけがまるで凍り付いたようだ。
男は不意に、右手を天へと突き上げる。握られているのは、黒いプラスチックに赤いボタンが填まる遠隔スイッチ。一見何に使うか判然としないそれは、立て続けに現場で見つかった凶器の断片として、ここしばらくネット上を賑わせていた。
「爆弾だァっ!!!!」
大陸なまりの叫び声で雑踏が一瞬静まり返り、そしてまた一瞬で混乱に包まれた。命の危険にどれだけ早く正確に対処するかで、世紀末の歌舞伎町を生き残れるかどうかが決まる。欲望を求めて無秩序に蠢いていた有象無象は、蜘蛛の子を散らすように姿を消した。呼び込みが、娼婦が、マフィアが、我先にと雑居ビルや路地へと逃げ込む。酔いが回って転ぶ中年女性の背に隠れ、盾にする娼婦の姿もあった。
右手を掲げる爆弾男は笑わない。ボタンを押しこめば、上野・渋谷・浅草で立て続けに起こった自爆テロ事件のように、多数の被害者が出るだろう。だが男の瞳は何の感情も見せず、ただ目尻の微かな充血が赤黒く濁るだけだ。
赤黒——人間の瞳では捕らえられないほんの微かな色の変化を、外部電脳は確かに見抜いた。死霊を注入された死体の血液は、偽装をしない限り赤黒く濁り粘性を帯びる。人間の意識では捕らえられない微細な差違を、フルフェイスヘルメット型の無意識拡張装置「エクスブレイン」は高精度で判別した。
臥龍岡早雲は、逃げ惑う人々の群と逆流して男へと近づく。彼は生死者追跡者、リビングデッドとそれを操る者ネクロマンサー専門の賞金稼ぎだ。
所狭しとホットパイプが走る繁華街で爆弾が爆発するリスクを加味して、エクスブレインは発砲許可をピクトグラムで伝えていた。早雲は44口径マズルスパイク拳銃「リ・エリミネーター」を両手に携えて、今日の賞金首——リビングデッドの頭に狙いを定める。
「近づくな」
甲高い歓声の中、低く通る声で爆弾男は告げた。
「それ以上近づくと、爆破させる」
掲げた腕は震えもしない。近づこうと近づくまいと、スイッチは押されるだろう。だからこれはハッタリだ——それを理解しつつ、早雲は足を止めた。
「おまえを創ったネクロマンサーは誰だ? 目的は? 要求があって、声をかけたんじゃないのか?」
「————」
リビングデッドには感情がない。目の前のロシア人は防腐処理も稚拙な使い捨てで、表情筋への細工もなされていない。だから感情など浮かべるはずがない。
笑みを浮かべているように見えたのは、早雲の脳の解釈にすぎない。
「復讐だよ」
掲げた右手が正面に突き出され、親指が押し込まれる。リ・エリミネーターは間に合わず、早雲は起爆装置の起動を阻止できない。
別の手が打ってある。
「ヒャッホー!!」
頭上から赤い閃光が舞い降りる。早雲の相棒牙野原エチカが振り下ろすのは、ウルトラハード・多結晶ダイヤモンドの刃が唸る携帯チェーンソー、ラビットパンチ。予想もできない頭上からの一撃に、男の腕は呆気なく切断された。
宙を回転する腕を、早雲は起爆装置ごと掴み取る。リビングデッドは脳を破壊するまで動き続けるが、物理的に切り離してしまえば話は別だ。
頭上のホットパイプから落下しがけにラビットパンチを振るったエチカは、返す刃で首を切断 。リビングデッドは断末魔さえあげる暇さえなかった。それでも勢いが収まらないとばかりに、唸るチェーンソーが男のトレンチコートを切り裂く。死体の腹部は内臓がごっそり取り除かれ、その代わりに寸胴鍋の手製爆弾が露わになった。
「おーおー、これが噂の」
チェーンソーを血振るいすることすらせず、エチカは腹部を興味津々で覗き込む。連続生死者自爆テロ事件の資料で見たものとつくりは同じで、このリビングデッドのマスターが一連の事件の犯人ということだろう——分析する早雲に、エチカは目を輝かせて訊く。
「どんだけ威力あんのかな、コレ?」
「試さないぞ」
「えー意地悪」
緊張からの解放が、口を滑らかにする。早雲は冗談には付き合わず、未だ切断されたリビングデッドの手に握られたままの起爆装置を取り外そうとして「カチッ」音がした。
あと5秒。
「早雲ッ!!」
エクスブレインが即座に状況を判断、起爆まで5秒間のカウントダウンを始めるがすでにエチカは駆け出している。役割分担は明確で考えるより先に体は動く。背後から忍び寄り切断したリビングデッドの起爆装置を押したのは近くで腰を抜かしていた酔っ払いの中年女性で、切断された腕に握られた起爆装置を起動させた。恐らく正体は保険で用意された第二のリビングデッドだろうが、そちらを追いかけるのはエチカの仕事だ。早雲は
あと4秒。
エクスブレインの指示に従いその指先をリビングデッドの切り裂かれたトレンチコートの内側、剥き出しになった爆弾に伸ばす。リトライの時間的余裕はなく全神経を集中させながら寸胴鍋の取っ手に引っかける。赤黒い血肉で人差し指が滑るが曲げた中指と人差し指を
あと3秒。
押し込んで何とか一発で取り出すと、エクスブレインがメッシュネットワークに接続、高速で演算を完了させ次の指示をフルフェイスヘルメット内のディスプレイに表示している。上。早雲は公共タクシーのボンネットから仮想環境デートクラブのネオンを蹴りホットパイプに片手を突いて、更に跳躍。移動可能な範囲で
あと2秒。
最も被害の少ない場所はマンホール下ではない。ホットパイプが走る地下空間で爆発が起これば直接の人的被害はなくとも熱の循環が閉ざされ多くの人間が凍死する。早雲は高効率タービンを蹴り雑居ビルへと跳ぶと4階の窓にリ・エリミネーターを向けた。看板を兼ねた窓ガラスに弾丸を撃ち込む。粉々に砕ける「不感症の美人」の向こうに見えた
あと1秒。
ソープランドの浴場には被害を最小限に留めようというアルゴリズムがデータベースから引き出した顧客データの分析通りひとりの客の姿もない、が、代わりに唖然とこちらを見つめる掃除中のボーイがいて「来いっ!!」爆弾を浴槽に投げ込むと同時ボーイの襟首を掴んで引き倒し防弾コートで体を
爆発。
▼ ▼ ▼
凍京一の対リビングデッド犯罪の専門家たちが住む鴉済生死者追跡事務所は、新宿二丁目のまっただ中にある。右隣はゲイ向けのアダルトショップ、左には喫茶店や鉄砲店の入ったビル——決して心安まるような場所ではないが、厄介事が集まる場所にこそ、賞金稼ぎの需要が生まれる。
ビルは4階建てで、所長の鴉済燎子の他に3人の生死者追跡者が住み込みで働いている。今、ひとりが大阪のGUの警備に借り出されていて、事務所にいる実働隊は牙野原エチカと臥龍岡早雲だ。
エチカが朝食を終えて、事務所特製のコーヒー「ヨアケガラス」の苦さに顔をしかめていると、階段から相棒の早雲がやってくる。
「おはよう。爆発の怪我は?」
「取り調べの方がキツかった」
早雲は事も無げに言って、サンドイッチに手を伸ばす。生死者追跡者は、凍京の治安を守る軍警察に対リビングデッド犯罪の取締を委託されている。だから当然頭が上がらず、街で余計な騒ぎが起これば、すぐ呼び出されて取り調べを受けることになる。
「おはよう、早雲くん」
「おはようございます燎子さん。服を着て下さい」
「ああ、ゴメンね。昨日は情報収集で忙しくて」
「わかったから服を着て下さい」
「はーい」
鴉済生死者追跡事務所のボス、鴉済燎子はバックオフィスをひとりで支えるが、油断するとすぐ裸になるデンジャラス未亡人だ。こんなやりとりも、ここでは日常茶飯事だった。
朝食を終え、3人は恒例のミーティングを開始する。生死者追跡者の仕事はリビングデッドやネクロマンサーと命懸けで戦うことと思われがちだが、それは仕事の最終局面に限った話で、普段は地道な追跡調査が中心だ。重要なのはより多くの情報と、情報に対する正確な分析・評価だ。
「昨日はお疲れ様 。報告書は読ませてもらったわ。早雲くん、爆発自体は阻止できなかったけど、素晴らしい判断よ」
「エクスブレインのおかげです」
ホウ素火薬のマグナム弾でも川の底に潜れば無効化できるように、水は衝撃を大幅に吸収する。路上で爆発すれば破片が大きな被害がもたらしただろうあの爆弾も、水の張った浴槽で爆発したことで被害が最小限に抑えられた。ソープのプレイルームはしばらく使用できない状態だが、偶然部屋に居合わせたボーイも怪我がなかったので、街中での騒動にしては上出来だ。
「ねーねー、燎子さん! あたしだってよくやったでしょ?」
「はいはい、エチカちゃんもお疲れ様」
背後から忍び寄り起爆装置を押したあの中年女性を、エチカは追跡し首を刈り取った。リビングデッドは脳を破壊されない限り活動を継続する。死霊を注入され死後も動く脳の内部には、それを創ったネクロマンサーの個性が指紋のように刻み込まれる。米中戦争の最中、激戦区のマレーシアで発生したと言われるネクロマンシーにも技術体系がいくつかあって、どの流派の人間がリビングデッド化を行ったかも、かなりの精度で推測が可能だ。それを行うのが「死霊解析」と呼ばれるプロセスで、脳を無傷で回収することができれば、ネクロマンサーへの距離は一気に近づく。
燎子はマルチフリック、指にはめた指輪型小型情報端末からホログラムを表示する。
「回収された2体の脳サンプルのパターンから見て、彼らを操るネクロマンサーは日本人と推測されるわ。データが少なくてまだ個人は特定できないけど、今、引き続き解析を進めてるところよ」
「被害者に接点は?」
「爆弾を埋め込んでいたのは、ロシアの大使館員イーゴル・ゴローニン30歳。今月頭にヤクザとの銃撃戦で死亡しているわ。大使館内のプリンタで銃を密造していたんだけど、マラッカギャングとの金銭的トラブルが原因みたいね」
凍京に存在するプリンタは厳重に管理されており、特殊なチップで武器や紙幣を密造できないように制御されているが、大使館内は話が別だ。霞ヶ関周辺を仕切る通称「ロシア政府」が、その実質は武器の製造・密売をシノギとするロシアンマフィアであることは、公然の秘密だった。
「もうひとりの女性はベティ・ウォーカー51歳。歌舞伎町一丁目のクラブ『スターズ・アンド・ストライプス』のママをやってるわ。アルコール依存症で、肝硬変で人工臓器に取り替えてからも延々飲み続けた。今月頭、人工臓器の分解能力がオーバーフローした結果、急性アルコール中毒で死亡したようね」
「あー、あたし知ってる。オバケおっぱいがいる店だわ」
「オバケ?」
「そうそう、店ん中でおっぱい生搾りサービスしてくれんの」
「……なんでそんな店に入ったんだ?」
「えーだって生搾りしたいじゃん! 知ってる? 微かに甘いの」
「知るか」
得意顔のエチカを、早雲は軽くあしらう。
「ふたりに共通点は?」
「浄天眼のデータベースを当たったけど、普段の生活範囲からして接点は全然見当たらないのよね」
「それじゃあ、死んでからは?」
ネクロマンシーを施し人間に偽装させるには、死体を然るべき場所に運び改造手術を行わなければならない。死体の入手経路がネクロマンシーの特定に結びつくことは、決して少なくなかった。
「ふたりの死亡が確認されたのは、同じ山手総合病院。勤務記録と購入記録を洗い出して、容疑者が浮かび上がったわ」
死者たちの表示を押しのけて、新たに映るひとりの男。長髪を無造作に束ね、腰まで垂らしている。プログラムが自動で喜怒哀楽の表情変化をシミュレーションするが、そのどれもがどこかぎこちない。
「川良拓也42歳、独身。山手総合病院に勤めている。専門は脳外科。腕はかなり評判で、MAREなどの厄介な病気を受け持つことが多いとか」
MARE——米中戦争中、ネクロマンシーの登場に時を合わせるかのように東南アジアで発生、パンデミックを起こした致死率9割超の疫病だ。
そういう仕事をしていれば、当然死者に触れる時間は多い。
「ってことはそいつがマスター?」
「条件には当てはまるわね。気になるのは、どこでネクロマンシーを学んだかだけど……」
ただ死霊を注射しただけではなく、多少手を加えたものは一律にHi-Fiリビングデッドと呼ばれるが、一連の事件で使われたネクロマンシーの技術は決して高くない。ある程度習熟すれば、皮膚の腐食を防ぎ赤黒い血を偽装することは可能だし、一級のネクロマンサーなら死体を人間に紛れて生活させることも可能だ。
「あのくらいなら、自己流でもなんとかなるんじゃね?」
「ええ、そうかもしれない。その点は追々調査を ——マズいわね」
それまで上機嫌にデータを繰っていた燎子のマルチフリックが、不意に止まる。
「どうかした?」
「義城蜜魅が嗅ぎつけたみたい!」
直後、エチカは席を立ち上がる。早雲も遅れることなく、部屋のエクスブレインとリ・エリミネーターを取りに動いた。
義城蜜魅は、義城生死者追跡事務所の生死者追跡者。鴉済生死者追跡事務所に所属するエチカや早雲にとっては、商売敵だ。
「気をつけてね!」
「了解」
「りょーかい!」
情報分析を再開する燎子の声に手を振って、エチカたちは裏口から駐車場へと移動する。乗り込むのは外装を耐衝撃性空力調整パネルに埋める事務所戦用の圧縮空気車、シーラカンスだ。自動運転公共車両ネットワークが普及した現在、凍京を走る車の9割以上は自動運転しかできず、コールドキャブと呼ばれるタクシーを使うのが当たり前になっているが、生死者追跡者を生業にしていると、しばしば知性化された道以外に乗り込む必要がでてくる。ハンドル付きの車は必須だった。
圧縮空気がタイヤを回し、シーラカンスは滑らかに、ネオンの海を泳ぎ出す。
「早雲、どう思う?」
「何が?」
「動機」
すぐさま高速に乗る車の中、エチカはコネリンに投射した男の顔写真を矯めつ眇めつしながら、相棒に尋ねる。
「この男、なんでわざわざこんなテロ事件を起こさなきゃならなかったんだと思う? フツーの良いトコのお坊ちゃんだろ? コイツレベルで爆弾テロを起こすなら、凍京は今頃とっくに廃墟だよ。何がコイツをそうさせたかね」
「興味ない」
表情ひとつ変えないまま、早雲は切り捨てた。
「信念があろうと思いつきだろうと、テロはテロだ。ぼくらは行為に対し必要な対応をする。それだけだ」
「へーへー、聞いたあたしが悪かったよ」
頭上を流れゆくホットパイプを眺めながら、エチカはダッシュボードに脚を投げ出す。なにかがしっくり来なかった。先日彼女は、熱気の立ち上るホットパイプから襲撃の機会を窺いながら、あのロシア人の——彼を操るネクロマンサーの言葉を聞いたのだ。
——復讐だよ。
いくら見つめてみたところで、ホログラムで表情を変化させる川良拓也の口から、そんな台詞が出てくるようには到底思えなかった。