脚本:虚淵玄
たとえばレンタルビデオ店の棚配置などからすれば、アクション映画もホラー映画もわりと一緒くたな扱いなわけで、その両者に厳然たる違いなどないと考える人から見れば、今回の『沙耶の唄』は“相変わらずいつものウロブチ”な、何が新境地開拓だクソバカヤロウ、とお叱りを受けて当然の内容でしょうが……
だが私にとってアクションとホラーは天と地ほどの差の開きがある別ジャンルなのです。ホラーを作ろうと思い立ったのは、まぎれもなく新境地への挑戦だったのです。本当だってば。信じて頂戴。
そもそもホラーと呼ばれるジャンルの懐の広さがまた厄介なのです。血に染まるホッケーマスクやチェーンソーに解体される人体もまたホラーの範疇で語られるわけで。所謂そのテのスラッシャー路線であれば、なるほどアクションと混同されるのも分からんでもないです。とりわけ昨今のゲームユーザーであればゾンビの100匹や200匹は余裕で9パラの餌食にしておられるだろうし、吸血鬼や狼男といったゴシックホラーの花形もまた、ホームグラウンドを離れてアクション業界でブイブイ言わせている今日この頃だけに。そんなこんなでホラーとアクションの境界線はますます曖昧になっていきます。
それはそれで嬉しい傾向ではあるけれど、でもやっぱりホラーは違うと思うのです。むしろアクションとは対極に位置するのがホラーではないかと思うのです。
『呪怨』の劇場版を御存知の方は多いでしょう。掛け値なしのホラーです。真っ当に怖い造りの映画です。アクションの要素は欠片もない。にも拘わらず、重度のアクション馬鹿がアレを観てると、四つん這いで駆け寄ってくる伽椰子ママの動きに、ついつい余計な疑問を抱いてしまうのです。
犠牲者たちはなぜ誰一人として……あんな低い位置にある頭部に長渕キックをかまそうとしないのか?
蹴りの一撃で裏返して仰向けにしたところをマウントポジションで仕留めにかかるような、そういう猛者が一人ぐらいはいても良かったんじゃないかと。勝てるかどうかの問題ではなく、結果として返り討ちに遭ったとしても構わないから、せめて一人ぐらいは逃げずに立ち向かうぐらいのガッツを見せてくれても良かったんじゃないかと……
良いわけはないですよ。だって呪怨はアクションじゃなくてホラーなんだから。そこでブルース・キャンベルの降臨を待ち望んだりするのは無粋の極みというものです。
にも拘わらず、あの畳みかけるような恐怖演出の連続に酔いしれることもできず「いや普通……殴るべ?」とか思ってしまう不感症。それがアクション馬鹿の末路なのです。ハイ、他ならぬ私のことです。
哀しかった。寂しかった。すでに自分の中にホラー作品を楽しむ感受性が失われて久しいことを、私はそのとき自覚してしまいました。
かつての私の多感な青春時代といえば、ラブクラフトとスティーブン・キングに耽溺する日々だったのに――いつの頃から、私は過ぎし日のあの戦慄を、身の毛もよだつような恐怖の魅惑を忘れ去ってしまったのか?
(いや思い返すまでもなく『It』が分水嶺だったんだけど)
そんなこんなで、一念発起してブチ上げてみたのが今回の企画です。迷ったときには書いてみりゃいい。そういう手段が許される幸せな職場に私は勤めているわけで。
はたしてホラーの何たるかを見失ってしまった私に、今またホラーを物語ることができるのか、甚だ不安ではあったけれど、その辺の結果のジャッジメントはここを読んでいるお客様の判断に委ねるしかありません。
……いや正直なところ、ちょっとしくじったかなァ、とは思っとるのですよ。凉子センセイ、プロットの段階ではあんなキャラじゃなかったんで。それがついつい筆が滑って……相変わらず自分で自分の書く物を制御できない、こんな企画脚本…アタシは虚淵。

※ところで呪怨、ビデオ版と続編はまだ未見なんですが、やっぱり長渕キックは出ませんか?